写真工房 道
横内勝司写真展「時を超えて」
まずは知られざる天才写真家 横内勝司をご紹介します。
明治35年11月 8人兄弟の長兄として生まれ、高等小学校卒業と同時に家業である農業に就いた。後に大正ロマンと呼ばれる華やかさと不安が混在する時代に多感な青春期を過ごした横内は、裕福な農家に生まれた幸運もあり、まだ一般に普及していなかったカメラを手に入れた。それは大学まで進んだ弟たちに対し、家業を継いだ長男勝司への母の想いだったという。そして農作業の傍ら独学で写真撮影の技術を学び、主に自宅周辺での日常を撮り始めた。
横内勝司
一方で、仕事を終えると野良着を脱ぎ捨てスーツ姿で夜の社交場へと出かけた彼には、様々な意見や先進的な考えと積極的に交わり貪欲に知識を得ようとする社交家の一面もあり、また、山岳写真家の先駆けとして3000メートル級のアルプスの山々に登り、スキーで厳冬期の樹氷林を行き、ある時は馬に跨がり高原を駆け、またある時は鉄馬を駆って疾走するという、なんともカッコよく粋でお洒落なダンディです。
スナップ写真の概念すらなかった昭和初期に、ガラス乾板と暗箱式カメラでスナップ風に捉えた写真群は、その撮影技術もさることながら、どれもが詩情に溢れ喜びに満ちている。また、当時は文字やイラストによるものが大半だった広告の分野に於いても将来の写真表現の可能性を見据えていた彼でしたが、残念ながら昭和11年8月に33歳の若さで病死。その後この国が辿った激動の歴史の中で、その作品群は一度も発表されることなく忘れ去られ、長い眠りにつくことになる。したがって日本写真史のどこにもその名を見つけることはできない。この時、長男の横内祐一郎氏は8歳だった。
横内が使用したカメラ実機
時を超えて
彼の死から70年が経過した2005年の自宅改修時に、屋根裏から大量のガラス乾板が発見され、更に9年の歳月が流れた2014年に僕は87歳となっていた長男の横内祐一郎氏と出逢い、この奇跡の乾板群の存在を知った。
ご自宅に伺い、現物を見せていただいてもまだ信じられない、それまで僕が知ってた写真史がひっくり返るほどの衝撃だった。それから何度も横内家を訪ねて祐一郎氏の話を伺ううちに僕は横内勝司に魅了されていった。彼の作品群が長い長い沈黙の時を経て、そして今、僕と出逢った事に偶然ではない何か意志のようなものさえ感じる。横内勝司を伝えることは僕に与えられた役割なのかもしれない。その思いに突き動かされるように膨大なガラス乾板のデータ化と修復作業が始まり翌年、地元の小さなギャラリーで横内勝司没後80年を経て初の個展が開催されると、作品に触れた人々の感動は人から人へ波紋のように広がった。写真の枠を超えて賛同してくれる人も各地で現れ、その方々の尽力で松本から東京、大阪、名古屋、福岡、滋賀、京都、北海道と開催を重ね横内勝司ファンを増やし続けています。
80年以上も前に亡くなった無名の写真家が今、時を超えて人々を魅了し人と人とを繋げていく奇跡の物語、それはまさに写真の力であり、手渡しで伝わってきた「縁」に感謝です。写真文化の面で欧米より遙かに後発である当時の日本にこれほどの写真家が存在した驚き、そして彼の写真は写真展の枠を超え、かつての日本が脈々と受け継いできた暮らしを考える現代社会へのメッセージとしての作品力を持つものと考えます。間もなくそれを語れる人がいなくなろうとしている今こそ伝えたい写真です。
ガラス乾板
2023年 北海道での開催